<独りぼっち研究室/a>

誰かに優しくしたいのなら力を持っていないと優しくできない

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「力も無い奴が他人に優しくして何になるというのか?」

 

 

 

昔から思っていました。誰かが悩んでいる時に「大丈夫だよ」と声をかけてあげるのが優しさなのかな?と。

とりあえず社交辞令的に言っている人もいれば、相手を思いやる気持ちで安心させてあげようと思って言う人もいる。

 

でも、大丈夫といくら口で言ったところで何の解決にもならない。

 

本当の優しさっていうのは相手が悩んでいる時にどうにかしてあげることのことを言うんじゃないかなって。

例えば、兄弟が借金で悩んでいる。学校や周りの人に教わってきた優しさで解決しようと考えるのであれば「大丈夫だよ、何とかなるよ」と声をかけて冷静さを取り戻させて解決策を一緒に考える。

 

これが優しさ?

 

 

何となく府に落ちない部分がある。「大丈夫だよ、俺が肩代わりしてやるから」ってことを言えるくらいの財力がないのに言葉だけで優しくしても意味がないんじゃないか?

 

友達が嫌がらせを受けている現場に遭遇して「自分には力が無いから」と陰で見守って後から「大丈夫か?」と声をかける。もしくは勇気を振り絞って立ち向かい一緒になって嫌がらせを受けて少しでも痛みを和らげてあげる。

 

これも優しさ?

 

どうせなら相手が何もしてこれないくらいの力を見せつけて「こんなことするなよ」と言って撃退するのが本当に人を救える方法なんじゃないか?

 

本来、優しさってのは何かしらの「力」が無いと発揮できないものなんじゃないのか?相手の気持ちになって考えられる子を「優しい子」と褒めるけれど、そこで終わりにしないで、ある程度の年齢になったら「力が無いと救えない」と改めて口で、言葉で教えないといざって言う時に無力感に苛まれてしまうんじゃないか?

 

 

子供に現実を教えないで綺麗なところだけを見せて育てるのが優しさなんじゃなくて、汚くても何でも現実を教えてそこから自分がどういう成長をしていくべきなのかを考えさせるのが優しさなんじゃないのか?

 

本当に優しくしたいのなら救える力もないのに「大丈夫」と慰めないで、「俺には力が無いから自分でどうにかしろ」と相手が冷たいと感じる言葉をかけて自分1人でどうにかできるだけの力を付けさせるのが本当の優しさなんじゃないのか?

 

 

そういう冷たい言葉をできるだけ言わないで良いように強い人間になるのが本当の優しさなんじゃないのか?

 

 

そう思いつつ今日も「大丈夫だよ、お前の運転はきっと上手いから」と重い腰の嫁を教習所に通わせる為に偽物の優しさを振りまいている独りぼっち研究室でした。では。