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他人に迷惑をかけるテキトーさはいかんだろ!

仕事

昨日は東京の本社で会議。

鈍行電車に揺られること2時間半、長い道のりでした。

 

会場について意味の分からない会議をすること7時間、起きているだけで必死でしたね。一応会社のお偉いさんらしき人もいたので下手なことは出来ないし・・・

そんなこんなで無事に終わった会議、電車代やら昼食代やらの生産をこの場で済ませるから残る人は残ってくださいと指示され「帰ってからでも良いだろ」とか心の中で思いながらお金のことなので残りましたとさ。

 

1人1人清算していく中で気付いたこと。

「鈍行で来てるの俺だけじゃね?」

 

そう、他の方は皆特急利用。

 

 

 

「待てよ、確か俺の上司は特急のお金は出ない」って言ってたんだよな。と思い出し、恐る恐る前のおじさんに「特急の代金って出るんですか?」と聞いたところ、「ああ、もちろん。」

 

 

また、やられた。

私の上司、嘘をついているのか何なのか分からないんですけど、結構こういいことをやるんです。

前も県内でやる会議に出る時に「高速代は出ないからね」と言われて仕方なしに1時間半かけて会議場に行き、後日会社に帰って清算する時に他の人に「高速は使ってないの?」とか聞かれたり。

 

「テキトーな人だから」と諦めてはいたけれど、今回件でさすがに頭にきたので「特急使って良かったみたいですよ」と小さい声で言ってみると「えっ、嘘?そりゃごめんね」って・・・

 

 

謝ってくれるなら良いや。

 

 

 

今回のこの記事で何が言いたいかってことですけど、テキトーに仕事をしても別に構わないけど、他人に迷惑をかけるのはやめようってことです。

 

 

では。

 

人に自慢できるものが1つでもあればそれは幸せだ!

人生観

「得意なことある?」って聞かれても答えられない。

それくらいの軽い人生を歩んできた。

何か1つを極めるというよりは、目に入るもののほとんどに興味がいってしまい、全てが中途半端。

自慢できることが何一つ無いってのがこんなにも窮屈だとは思わなかった。

 

 

 

資格を持っていても自信には繋がらない

履歴書の持っている「免許・資格」の欄にそれなりに書けるだけの資格は持っている。

将来の不安を少しでも取り除く為に学生の頃から地道に取ってきた。

 

けれど、しょせん資格は資格でしかない。

少し本腰を入れて勉強すれば誰でも取れる。

その資格を活かせてはいないし、ほとんど意味がないものばかり。

ないよりはマシなのかもしれないけど、それが自分の自信に繋がることはない。

 

 

 

今までの人生で何か1つでも頑り続けたことがあるか?

小学生3年生から中学3年までの約7年間バスケをやっていた。

小学生高学年になるとレギュラーにはなれたし、中学1年生でも何度か試合に出たこともある。それ以降もレギュラーとして試合には出ていた。

その当時は「俺はバスケが得意」なんて思っていたけど、今はもうやっていないから過去の栄光そのもの。

 

大人になってから何か1つに取り組んだ記憶は無い。

せいぜいこのブログを続けているくらい。

自慢できることだとは思っていないし、中途半端過ぎる。

まだやっているから。これからの自分次第だけど。

 

 

 

こんな事考えている位なら何か続けてみれば良いんじゃないか?

「人に自慢できるほどのことがない」とか考えている位なら、とりあえず何かやってみるかって思いました。

このブログを筆頭に、他にも何か自分が好きそうなことや興味のありそうなことをやってみて、続けられそうって思えたらやってみようかと思う。

それが自慢できるようになるかどうかは分からないけど、今みたいにくだらないことを考えているよりは100倍マシだと思う。

 

 

 

まとめ

完全に自己完結型の記事でした。

何か1つでも「俺は○○が得意」って言えるものがあるってのは幸せなことだと思いますってことです。

 

 

では。

限界って自分で決めるものなの?いや、違うでしょ!!

人生観

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「限界限界ってうるせーよ」

 

 

 

過激な言葉を書いてスタートしたこの記事。

いつも見えない何かと戦っている?寂しいブログ運営者が「限界」というものに関しての考えを書いていくだけの記事です。

 

 

 

 

 いつの間にか自分の限界が全て分かるようになる?

ほんとにいつの間にかです。

「これ以上は出来ないな」って感じるようになったのは。

小学生くらいの時には何も考えていなかったのか、何でも出来る気がしてましたね。

多少の無理難題でも深く考えていなかったので、だからこそ大きいことも言えていました。

 

それが、成長するにつれて経験値が積み重なってくるようになり「これはこれ以上無理だな」とか思うようになっちゃったんです。

 

 

けどさ、それもよくよく考えてみたら「自分で勝手に決めた限界だよな」って思うんですよね。

今まで生きてきた中で「こういうシチュエーションで失敗したから」「このままいくと成功するな」って感覚が自分の中にあって、それを頼りに決めているだけだと思うんです。

 

 

 

 

平均値はしょせん平均値でしょ?

今までの経験値やら何やらで限界を決める。

つまりそれは「平均値」ってやつを自分の中で何となく決めている。

この平均値ってのはどうにもあてにならない気がしているんです。

 

「平均寿命」で考えてみると日本の平均寿命は80歳(くらい)で世界的にも高水準。

日本人は長生きするらしい。

私は今25歳ですから、あと55年も生きれるようです。

 

 

とはならないと思います。

日本人の平均が80歳だか何歳だか詳しくは知らないですけど、私が80歳まで生きれる保証にはならない。

「やったー、80歳まで生きれるんだ」って喜んで、あと何年あるから少しは休憩しようかななんてやっている時に不慮の事故で・・・それは今日かもしれないし明日かもしれない。

 

何が起こるか分からない。だから、平均値なんてあてにならないんです。

 

 

 

 

そもそも、限界だからって何なのさ?

話がだいぶ逸れました。

元の「限界」の話に戻しますね。

 

限界だからって何?って自分に言い聞かせる時があります。

「限界だからそこで終わり?」

「限界だから頑張らなくて良い?」

 

自分で限界を決めて限界を感じ取ることで努力しないための言い訳にしている。

限界を決めることで自分のことを正当化しようとしている。

 

自分としては限界を決めて頑張らない方が楽ですからね。

けれどそれじゃ成長しないから、「限界だから何」って言い聞かせます。

 

 

 

ほんの少しだけ限界を超えるだけで良い

ほんの少しだけで良いんです。

毎日15分走って限界を感じるなら15分30秒、もしくは16分。

 

サウナで30分入っているのが限界だったら・・・人に迷惑かけるかもしれないから無理はしない方が良い。

 

いつも自分が限界を感じていることに対して少しだけ、ほんの少しだけ超えてみるだけで良い。

超えた先に新しいものが見える時もあるし、見えなくても超えられたことで限界値が少しだけ伸びる。

それを長いスパンで続けて行けば、今までの限界なんて限界でもなんでもなかったことに気が付ける日が来る。

 

 

 

 

 

まとめ

限界を決めるのは自分。

限界を超えることができるのも自分。

年齢や環境のせいにしないで限界を超えてみよう。

綺麗ごとばかりじゃないけれど、努力による成功も十分にあり得る。

 

 

ってなところです。

 

 

では。